もう、これを製作してから25年も経つんですね…壊れず残ってる事が奇跡っす。数多くの模型誌作例を作ってきて、残ってる物の方が少ないんです。壊されたり、展示用に貸し出したまま行方不明、編集部の倉庫で四次元空間に行ってしまったり…まぁ、写真で残ってるんでね…
これを製作した時は、まだアマチュアモデラーで、作ったきっかけは、ウチの地元の”こばと模型店”で、私の師匠を中心とする常連客の間で、”ガンプラコンペ”をやろう!と盛り上がってしまい、スタジオ27の社長も参加するし、師匠のらんでぃさんも参加するし…そうなると、引っ込みが付かないんですよね…当時、AFVをがっつり作りたかった私は、”えー?ガンプラコンペぇ?”とか言いながら、仕方無く参加したんです。
でも、転んでも、ただ立ち上がりたく無い私、これもガンプラと言わんばかりに旧キットのガンタンクの背中の排気口と肩のみを使用して、ドラゴンのⅢ号戦車の車体と履帯を下半身に使って、後はプラ板で上半身を作って…師匠には”お前さんのやりそうな事だよな…ウワサしてた通りにⅢ号戦車使っていて笑える(=^▽^)σ”とか言ってコケにされる始末でして…まぁ、盛り上がってくれたんでOKっす♫で、当時、私が参加してた模型サークルのコンペにも使い回して…
(-.-)y-., o O
で、模型サークルで、”みんなでJAFCONに行こう!”と言う事になったんですね。JAFCONとは、ホビージャパンが開催していた模型イベントで、東京ビッグサイトで毎年やっていた巨大イベントで、日本一大きな規模の模型コンテストや、ガレージキット即売会等で超有名イベントでした。しかし、私が行列を作る様なイベントが苦手でして…行列に並びたく無いだけですが…と、サークルメンバーの1人が”行列に並ばないで入場出来るよ♫”と…
模型コンテストに参加すると、ビッグサイトの裏口から入れると言うではありませんか。イベント嫌い、コンテスト嫌いな私も、背に腹はかえられぬ…と参加しまして…コンテストなんか無縁と思ってたんですが…おまけに1,000作品を超える参加って…まぁ、入賞等無縁だろうし、JAFCON8を満喫していたのです。が、びっくりした事に、山田卓司賞受賞!人生初の模型コンテストで一生分の運を使ってしまった感じっす。これをきっかけにホビージャパンのモデリングライターにスカウトされ、プロモデラーに…人生変わったきっかけの作品なんです。
まぁ、20代の頃の作品で、お恥ずかしい部分も多々ありますが…ドラゴンのⅢ号戦車をベースにプラ板とジャンクパーツで製作してます。腕は真鍮パイプとアクリルパイプ、キャノピーはポリパテで雄型を作って透明塩ビ板をヒートプレスで自作です。運転席にはNゲージのフィギュアを改造して乗せてます。ツェメリットコーティングはハセガワのエッチング ソーでポリパテを使ってます。
履帯と転輪はⅢ号戦車まんまっす。車体後部もっすね…
(-.-;)y-~~~ 排気パイプは真鍮パイプの太いのを…迫力があるからって… 今の目で見ると、勢いだけで作った感満載っす。でも、こう言う作品が手元に残っているってイイっすね♫こばと模型店さん、大感謝っす♫
まぁ、当時の私としては、一生懸命に1/144スケールに見せようとしてたんでしょうネェ…NGなところも多いですが、山卓さん、よくぞ選んでくださいました!
塗装の事は余り覚えて無いんですが… ヽ(´o`;基本的には今と大きく変わって無い⁈かなぁ…自分的には今の方が進化していると…思う…思いたい…っす。(^_^;)あ、ベースは、自分の同級生の大工さんに一枚板で作ってもらいました。一枚板って気付いてくれたのは山卓さんだけでしたが…
そうそう、砲身は、地元の町工場の旋盤をお借りして作った真鍮のひき物っす。今思うと、よく貸してくれたなぁ…
良く見ると、操縦桿まで作って…若かったなぁ…あと、プレートは、顕微鏡用のプレパラートにインレタを使って作ってます。
なんか、25年も前の自分の作品と向き合うと、25年前の自分と対話してる様でしたね…あんな事やこんな事があってね…なんて話し掛けてやりたい気持ちになりますね♫